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東京地方裁判所 昭和35年(ワ)5935号 判決

原告 小松よし子

被告 田中カツ 外一名

主文

被告田中カツが、訴外渡辺なつ子に対する東京地方裁判所昭和三五年(ヨ)第一二四一号仮差押決定正本に基き、別紙目録記載の債権についてした仮差押は原告のためこれを許さない。

原告の被告東京都に対する請求は、これを棄却する。

訴訟費用は、原告と被告東京都の間ではこれを原告の負担とし、原告と被告田中カツとの間では原告について生じた費用を三分し、その二を被告田中カツの負担とし、その余を各自の負担とする。

事実

(原告の申立及び主張)

原告訴訟代理人は、主文第一項と同旨及び「被告東京都は、原告に対し金六三万八七九二円とこれに対する昭和三五年七月二九日から支払ずみまで年五分の金員を支払うべし。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決並びに被告東京都に対する請求につき仮執行の宣言を求め、請求の原因として次のように述べた。

一  被告東京都は、昭和三四年一二月以前頃訴外渡辺なつ子に対し東京都都市計画街路事業の実施のための土地収用及び権利収用に伴う損失補償につき、東京都品川区上大崎二丁目六〇一番地所在家屋番号同町二〇番木造トタン葺二階建店舗兼居宅一棟建坪一〇坪二階四坪(以下本件建物という)における飲食店「ピエロ」の営業補償、住宅補償、引越料及び工作物補償等として合計金六三万八七九二円を支払う旨の内示をし、翌昭和三五年一月七日東京都収用委員会に対し右損失補償等につき裁決の申請をしたところ、同委員会は同年三月二四日渡辺なつ子に対し本件建物における物件補償額等(すなわち、右の営業補償、住宅補償、引越料、工作物補償等として金六三万八七九二円(以下本件営業補償金債権という)を払渡すべき旨の裁決をし、右裁決は法定の期間内に裁判所に対する訴訟の提起もなされず確定するに至つた。

二  ところで、被告田中カツは、渡辺なつ子に対して金六三万八〇〇〇円の不当利得返還請求権を有するとし、その債権の保全のために同年三月一一日同人に対する東京地方裁判所昭和三五年(ヨ)第一二四二号仮差押決定を得て、これに基き同人の右営業補償金債権に対し仮差押をし、右仮差押決定は同月一二日被告東京都に対し送達されている。

三  しかし、右営業補償金債権は、右仮差押に先立つ昭和三四年一二月四日原告が同人からその譲渡を受け、同人から同日発翌五日到達の書面で被告東京都に対し債権譲渡の通知をしたものであつて、原告が被告東京都に対して有するものとなつていたのであるから、同人に対する仮差押決定に基き執行を受けねばならないような謂れは少しも存しない。

仮りに、右債権譲渡が東京都収用委員会の裁決前であつて、当時本件営業補償金債権が同人に属するものであること及びその額等が具体的に確定していないため、無効であるとしても、同様の理によつて被告田中カツのした仮差押もまた何らの効力を生ずるに由ないものであるが、原告は念のため右裁決後である同年三月二五日同人から右債権の譲渡を受け、同人から同月二六日発同日到達の書面で被告東京都に対しその旨の通知をしているのであるから、本件営業補償金債権はいずれにせよ原告の有するところといわねばならない。

四  しかして、被告東京都はすでに前記の事業の施行をし、本件建物をも収用しているのであるから、右補償金の払渡をなすべき義務がある。

よつて、被告田中カツに対しては右営業補償金債権に対する仮差押の執行の排除を求め、被告東京都に対してはその債権金額及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和三五年七月二九日から支払ずみまで年五分の遅延損害金の支払を求める。

五  被告らの主張事実のうち、被告東京都がその主張の日に本件営業補償金全額を供託したことは認めるが、その余の点はすべて争う。

(被告田中の申立及び主張)

被告田中訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁及び抗弁として次のように述べた。

一  原告主張の請求原因事実中、被告東京都が原告主張の日に渡辺なつ子らを被申請人として都市計画街路事業実施のため土地収用及び権利収用に伴う本件建物における物件補償額等につき、東京都収用委員会に対し裁決の申請をし、同委員会は原告主張の日に同人に対し右補償等として金六三万八七九二円を払渡すべき旨の裁決をし、右裁決が確定したこと、被告田中カツが原告主張のように本件営業補償金債権につき仮差押をし原告主張の日に仮差押決定が被告東京都に送達せられ、その効力を生じたものであることは認める、その余の事実は争う。

二  本件建物において飲食店「ピエロ」の営業をしていたのは、被告田中カツであるから、本件営業補償等の裁決も同被告に対してなさるべきものであつたところ、東京都収用委員会は渡辺なつ子を営業権者として営業補償金を与える裁決をしたので、被告田中カツは原告主張のように不当利得返還請求権を有するとして仮差押をしたのである。

しかして、仮りに同人が昭和三四年一二月四日原告に対し本件営業補償金債権を譲渡したとしても、当時は東京都収用委員会の裁決前であり、被告田中カツが同委員会の審理において自己が営業権者であると陳述するなど営業権の帰属を争つていて、本件営業補償を同人に対してするか、又その額が具体的にいくらとするかも決定されていなかつたものであるから、本件営業補償金債権は将来発生することについて具体的な確実性を有するものとはいい難く、右債権譲渡は無効である。

これに反し、被告田中カツのした仮差押決定が被告東京都に対し送達された昭和三五年三月一二日当時は、起業者たる同被告が協議不調を理由に渡辺なつ子等を被申請人として本件営業補償等につき裁決を申請した後であり、殆んど同人に対し本件営業補償をすることが確定していたものとみられるから、右仮差押は有効なものというべきである。

(被告東京都の申立及び主張)

被告東京都指定代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁及び抗弁として次のように述べた。

一  原告主張の請求原因事実は全部これを争わない。但し、被告田中カツが仮差押をしたのは、本件営業補償金債権のうち金六三万八〇〇〇円についてである。

二  しかし、昭和三四年一二月四日渡辺なつ子が本件営業補償金債権を譲渡した当時、右債権はそもそもその権利者及び具体的な額が未確定であつたから、将来発生することについて具体的な確実性を有するものとはいい難く、右債権譲渡は無効というべきである。

三  そうでないにせよ、起業者である被告東京都は昭和三五年四月二一日次のように土地収用法第九五条第二項第二号及び第四号に該当するものとして本件営業補償金の全額を東京法務局に供託したから、これによつて原告に対する被告東京都の債務は全部消滅しているのである。すなわち、

1  本件営業補償をめぐり渡辺なつ子は昭和三四年六月被告田中カツ及び被告東京都に対し営業権確認の訴訟を提起し、これに対し被告田中カツは不当利得返還の反訴を提起して抗争中であり、しかも同人は同年一二月四日原告に対し前記の債権譲渡をしているので、被告東京都は収用の時期までに補償金を受けるべき者が原告、渡辺なつ子及び被告田中カツのいずれであるか全く確知することができなかつたのである。そして、右は補償金を供託し得る場合として土地収用法第九五条第二項第二号に規定する事由に該当する。

2  また、本件営業補償金について収用委員会の裁決前被告田中カツから起業者である被告東京都を第三債務者としてその支払を禁ずる旨の仮差押がなされているが、右は補償金を供託し得る場合として同項第四号に規定する事由である。

〈証拠省略〉

理由

一  被告東京都が昭和三五年一月七日渡辺なつ子らを被申請人として東京都都市計画街路事業実施のための土地収用及び権利収用に伴う本件建物における物件補償額等につき、東京都収用委員会に対し裁決の申請をし、同委員会は同年三月二四日同人に対し本件営業補償金六三万八七九二円を払渡すべき旨の裁決をし、右裁決は確定するに至つたものであること、右裁決前被告田中カツが同人に対し金六三万八〇〇〇円の不当利得返還請求権を有するとして同人に対する東京地方裁判所昭和三五年(ヨ)第一二四二号仮差押決定に基き同人の被告東京都に対して有する本件営業補償金債権を金六三万八〇〇〇円としてこれにつき執行をなし、右仮差押決定は同年三月一二日被告東京都に送達されたものであることは、当事者間に争いがない。

そして、成立に争いのない甲第五号証、同第七号証に証人渡辺なつ子の証言によると、同人は被告田中カツのした右仮差押に先立つ昭和三四年一二月四日頃原告に対し、原告に対する借受金債務の支払のために本件営業補償金債権を譲渡し、同日発翌五日到達の書面で債務者である被告東京都に対し右債権譲渡の通知をしたものであること(以上の債権譲渡とその通知の事実は、原告と被告東京都との間では争いがない)が認められ、この認定に反する措信すべき証拠は存在しない。

二  そこで、まず問題は右債権譲渡の当時、本件営業補償金債権が将来発生するについて具体的確実性を有するかどうかにある。すなわち、被告らは当時本件営業補償金については収用委員会の裁決がなされておらず、その権利者につき争いがあるのみならず、額もまた未確定であつたから、債権としての具体性を有しなかつたものと主張するのである。しかし、前示甲第五号証、同第七号証、証人渡辺なつ子の証言及び被告田中カツ本人尋問の結果に本件口頭弁論の全趣旨をあわせると、本件建物の附近一帯は、昭和三三年夏頃被告東京都の都市計画街路事業の実施により収用されることがほゞ明らかとなり、関係人である本件建物の所有者、賃借人及び本件建物における飲食店「ピエロ」の営業に関する権利者等に対し収用の時期までに損失補償がなさるべきものであつたところ、本件建物の賃借権、右営業に関する権利等について渡辺なつ子と被告田中カツとの間に紛争を生じたが、被告東京都は昭和三四年一二月以前頃一応同人を本件建物の賃借権及び右営業に関する権利者と認め、同人に対し本件営業補償金として金六三万八七九二円の額の内示があつたこと、しかしてその後前記認定のようにこれと同趣旨の東京都収用委員会の裁決がなされたものであることが認められる。従つて右債権譲渡が同収用委員会の裁決前であることは、当事者間に争いがないけれども、右認定の事実によつて考えると、右譲渡のなされた当時本件営業補償金債権は、東京都都市計画街路事業の実施による本件建物等の取用に伴い、渡辺なつ子に対する損失補償として払渡さるべきこと及びその額をいくばくとするかということが、ほゞ定まつていたものということができるから、すでに債権としての具体的特定性を有していたものと解すべきである。そうとすると、本件営業補償金債権は右譲渡の当時においても将来起業者である被告東京都との間の協議の成立又は前記収用委員会の裁決により現実に成立し得べき債権として譲渡可能なものであるから、昭和三四年一二月四日の債権譲渡はこれを有効なものと認むべきである。

してみれば、本件営業補償金債権は同日以降原告の有するところとなつたものと認むべく、その後である昭和三五年三月一二日被告田中カツのした前記仮差押は明らかに違法であり、これが排除を求める原告の請求は正当として認容さるべきものといわなければならない。

なお、被告田中カツは本件営業補償金債権は本来同被告の有すべきものであつて、渡辺なつ子に属するものではないと主張するのであるが、右は同被告から同人に対する不当利得返還の問題となり得るに止まり、本件においてはこれを以て原告の請求を阻み得る事由となるものとは解せられない。

三  そこで、進んで被告東京都に対する本件営業補償金払渡の請求について考えることとする。

前記債権譲渡の後、昭和三五年三月二四日東京都収用委員会が本件営業補償金として渡辺なつ子に対し金六三万八七九二円を払渡すべき旨の裁決をしたことは前認定のとおりであり、被告田中カツ本人尋問の結果及び本件口頭弁論の全趣旨をあわせると、本件建物及びこれに関する権利は昭和三五年一〇月頃までに被告東京都によつてすべて収用されたことが認められる。従つて、原告は被告東京都に対し本件営業補償金債権を有するものとして、金六三万八七九二円の払渡を請求し得べきものである。

ところが、被告東京都は、適法な供託により右営業補償金債務は消滅したと主張するので、この点について判断すると、被告東京都が起業者となつている本件都市計画街路事業は土地収用法に基いて行われるものであることは本件口頭弁論の全趣旨に徴し明らかであるが、同法第九五条第二項第四号によれば、起業者が差押又は仮差押により補償金の払渡を禁じられたときは収用の時期までに補償金を供託することができる旨定められているところ、本件営業補償金につき収用委員会の裁決前被告田中カツが渡辺なつ子に対する東京地方裁判所昭和三五年(ヨ)第一二四二号仮差押決定に基いてその執行をし、右仮差押決定は昭和三五年三月一二日被告東京都に送達されたものであることは前記認定のとおりであるから、起業者である同被告は右仮差押により本件営業補償金の払渡を禁じられたのであるが、これにつき収用委員会の裁決がなされた後同被告が本件弁論の全趣旨により本件建物等収用の時期以前であると認められる同年四月一二日右営業補償金全額を東京法務局に対し供託したことは、原告の認めて争わないところである。してみると、右の供託は有効であつて、これによつて被告東京都の本件営業補償金債務が消滅したことは明らかである。従つて被告東京都主張の他の供託事由について判断するまでもなく、原告の同被告に対する請求は理由がないものとして棄却を免れない。

四  以上説明のとおり、原告の被告田中カツに対する請求はこれを認容すべく、被告東京都に対する請求はこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条第九二条第九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 鈴木醇一)

別紙

目録

訴外渡辺なつ子の被告東京都に対する

東京都都市計画街路事業の実施に伴い、東京都品川区上大崎二丁目六〇一番地所在家屋番号同町二〇番木造トタン葺二階建店舗兼居宅一棟建坪一〇坪二階四坪における営業補償、住宅補償、引越料、工作物補償等として払渡さるべき合計金六三万八七九二円の補償金債権

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